すべての始まりは「自転車」だった?
車に限らず、機械の歴史をひもとくと、不思議と自転車が登場する。もっとも「人間に一番近い機械」だからかもしれないが、機械としての要素をほとんど備えた高効率の移動体であるためだろう。たかだか0.3馬力程度のパワーで時速70Km/hも出せるのは良く考えたらすごいことだ。
で、自転車。有名なところでは飛行機のライト兄弟、自動車でもプジョー、ローバー、トライアンフ、家電のパナソニックも元は自転車屋だった。現在では逆に自動車メーカーながら自転車も作った(OEM含む)ところも、ポルシェ、BMW、メルセデスベンツ、ランボルギーニ、フェラーリ(コルナゴ)、ルノー、ハマー、シボレー、ホンダ、ヤマハ、カワサキ、ドカッテイ、スバルなどが出していた。
しかし自転車がすごいのは、僕ら一般人の手に入れられるものでもハイテクや稀少素材の塊であるという事実で、40年前でもチタンボルト採用はあったし、カーボン、ケブラー、ボロン、アルミから、マグネシウム、スカンジウムなどまでも。カーボンフレームに至ってはモノコックは当たり前、ギヤシフトも現在はレース用で26段、マウンテンバイクやツーリング用なら30段超えというすさまじさ。オートマチックに無段変速まで登場し、さらに車にさきがけてハイブリッド車があったり、前後サスペンション付きやモノサス、ブレーキもディスクが増えたりと、限界というものがない。
しかも、車やオートバイでは個人で持つことすら考えつかない、完全なワークスマシンだって普通に手に入る。例えればフェラーリのF1やMOTOGPマシンが市販されかつ、公道で乗れるのと同じレベルってこと。これって、とんでもなくすごいことだと思いませんか。
ただ、一般の人にはこんなこと言っても、ふーんってなもんで、「なんで自転車が何十万もするの!、なんでこんなに台数があるの?乗るのは一人でしょ!」って言われて終わり。なかなか理解してもらえない。
しかしよく思い出して欲しい。スポーツ用自転車の価格って、40年近く昔のサイクリングブームの時代からそれだけ変わっている訳でない。入門用のスポーツ車は昔も今も6〜7万くらいのもの。逆に今の方が安い場合もある。
特に最近は自転車というと、いわゆるママチャリ(シティサイクル)が主流となってしまい、ホームセンターなどで1万円くらいで買って3年も使ったら捨てるという考えが浸透してしまったため、スポーツとしての自転車と実用車としての自転車の考えがごちゃまぜになってしまっている。
そこへ降って湧いたのが、2008年のガソリン値上げと自動車離れ。自転車の価値を認めはじめた人も増えてきた。かつてのサイクリングブームほどではないが、特に若い世代にスポーツとしての自転車が見直され、自転車界の底辺が広がってきているのは間違いないが、残念なことには昔のサイクリングブームのように組織的なものでないことから、「自転車乗りのマナー」を身につけずに乗っている人が多く、事故などが多発するという社会問題にもなっている。
近年ではこれに輪を掛けて、行政サイドで訳の判らない施策も打ち出されており(歩車道分離?混在?自転車レーン?)交通法規もむちゃくちゃ。
交通警察も、取り締まりを厳しくしてはいるのだろうが、統一性を持った取り締まりになっていないように思う。スクランブル交差点で自転車に乗って走っているのが何台もいるのに、信号で停車していたパトカーが注意もしないのを普通に見る。
学校教育などでも、交通弱者としての教育が主体のため、小学校時代の記憶のままに大人になっても自転車に乗る人も多く、自転車は「車両」という基本すら認識されておらず、大人になっても歩道をハイスピードで自転車で走る者がいるなど、大変危険な状況。
いまだに日本は自転車(自動車や自動二輪もだが)に関して成熟した環境とはとても言えない。
自転車の種類については、かつてのサイクリングブームの時代は旅行用車が多かったが、その後のBMXブームやマウンテンバイクブームを経て最近はロードバイク(昔はこんな言い方してなかったが)が流行、しかしドロップハンドルに乗る人はそんなに増えず、結果的に中庸なクロスバイクと小径車が目立つ世の中になっている。日本らしい結果とは思いながら、正しい自転車ブームにならないものかと思う。寂しい状況だ。
と、愚痴ばかり言っていても仕方ないので、本論の自転車話
ShinZanの自転車たち
では、ここで僕の自転車歴を書いてみます。(2023.5現在) 計14台+1台(妻の自転車)+1台(子供使用)=16台
※子供用の自転車など(いわゆるママチャリ)は除いています
略称:JS:ジュニアスポーツ、RR:ロードレーサー、RN:ランドナー、TR:トラックレーサー、MT:マウンテンバイク、CB:クロスバイク、CC:シクロクロス、TS:タウンスポーツ
零号機JS 73カタノ ジュニアスポーツ(セミドロップ、色艶消し黒)廃車→弐拾四号機に更新
初号機RR 80ツノダ グランプリロードCR(色スカーレット) →知人に譲渡、参号機に更新
弐号機RN 80sメーカー不明 ランドナー(色ダークグリーンメタ) 廃車→拾壱号機に更新
参号機RR 80sメーカー不明 ロードレーサー(色ダークブルーメタ) 廃車→四号機に更新
四号機RR 80sブリヂストン グランヴェロロード(色グリーンモンスターカラー)→知人に譲渡、八号機に更新
伍号機TR 80sガンウェル ピスト(NJS、色赤) →知人に譲渡、十参号機に更新
六号機MT 80sアラヤ マディフォックスエキスパート(色ホワイト) →知人に譲渡、十五号機に更新
七号機RR 86チネリ スーパーコルサ(色キャンディレッド) →オークション売却
八号機RR○80sミヤタ アルフレックスカーボンロード(色カーボン) →フラットバーロード化
九号機RN 80sメーカー不明(富士?) ミキスト(色キャンディレッド) →知人に譲渡、十四号機に更新
拾号機RR○98ピナレロ ステルビオ(色レッド)
拾壱号機RN○99アルプス ランドナー(色金台赤・フルオーダー)
拾弐号機MT 97シンテシー バズーカ(色オレンジ) →オークション売却
拾参号機TR○90sナガサワ スペシャル ピスト(NJS、色ワインレッド)
拾四号機CB○90sシンテシー プロムナード(色ソリッドブルー)
拾伍号機MT 80sアラヤ マディフォックスMF26PRAL-K(色赤) →オークション売却、十八号機に更新
拾六号機RR 70sジオス スーパーレコード(色ジオスブルー) →オークション売却、三十三号機に更新
拾七号機CB 06ビアンキ ROMEU(色ニューチェレステ) →実家の兄へ譲渡→知人に譲渡
拾八号機MT○99ビアンキ MEGA-AL(色マルティニ−ニューチェレステ) →クロスバイク化して子供が使用
拾九号機MT 08アイアンホース WARRIOR3.0(色ブルーメタ) →オークション売却
弐拾号機RR 70sレニアーノGRAN PREMIO(色シルバーメタ) →オークション売却
弐拾壱号機RR 06ルイガノLGS RSR-C(色白−カーボン、フラットバー仕様) →従兄弟へ譲渡
弐拾弐号機CB 08トレック2.7FX(色レッド) →従兄弟の友人へ譲渡
弐拾参号機CC 03ジオス ピュア シクロクロス(色ジオスブルー、耐久仕様)→オークション売却
弐拾四号機TC○09ブリヂストン マークローザMK66DT(色ブラック)
弐拾伍号機RR 03デローザ キング(色カーボン−ブラック) →オークション売却
弐拾六号機RR 00ビアンキ AL-MEGA PRO L(色ニューチェレステ・チーム) →オークション売却
弐拾七号機RR 01ピナレロ パリ(色黄色) →オークション売却
弐拾八号機TC 10ブリヂストン マークローザMS66DT(色ブラック) →甥へ譲渡(プレゼント)
弐拾九号機RR 08デローザ アバント(色カーボン) →オークション売却
参拾号機RR 11デローザ ネオプリマート(色ブルー)
参拾壱号機RR○01ビアンキ AL-MEGA PRO L(色ニューチェレステ)
参拾弐号機RR○02ビアンキ XL-TITANIUM(色チタン)
参拾参号機RR 70sジオス スーパーレコード(色ジオスブルー)
参拾四号機RR○06デローザ キングX-lite(色カーボン−ブラック)
参拾伍号機RR○97デローザ ProTeam TT(色BATIK-Delmonte)
参拾六号機RR○98sデローザ ネオプリマート(色赤)
参拾七号機RR○89sデローザ Professional(色青)
参拾八号機RR○98sシンテシー バルカン(色赤)
内訳:ロード22台、ピスト2台、ツーリング3台、MTB5台、クロスバイク3台、シクロクロス1台、その他3台 計39台
ここまで見て、改めてロードレーサー比率が高いことに気がつく。
現在、手元にあるのは赤で表示した八号機以降の計15台+と青文字の妻用1台。
完成車として買ったのは、零号機、初号機、六号機、十四号機、十五号機、十七号機、十八号機、二十二号機、二十四号機、二十八号機、三十一号機、三十六号機、三十八号機の13台で、残りはバラで買って自分で組み立てたものかフレーム状態。
なお現在イタリア車占有率がまた高くなってきて、75%がイタリア車ということになる。現在、台数削減計画を実行中・・だったはずが増えている!
なお機種別で言うと、ロード12台、ピスト1台、ランドナー1台、MTB(クロスカントリー)改クロスバイク1台、タウンサイクル1台となり、やっぱりロードが多い。
現在乗車可能なものは、○の付いたものとなっている。ここのところメンテに力入れていて乗れるものが増えたはいいのだが置き場所に困っている。
ピストについて

この写真は、一宮競輪場400ピストで1000mTTを走行中の僕です。使用自転車は元プロ選手の乗っていたガンウェルのお下がりを格安で譲ってもらいリペアしたもので、自分で塗装しました。(元の色は薄いブルーメタ)パーツは全て新品で組み直したのですが、いかんせん25年以上前に組んだもののため、絶版パーツも多かったです。実はこれを組んだ頃は中野浩一選手が世界選連勝記録更新中で、あのサンツアーのシュパーブプロフルセットで組んでレプリカ仕様にしようと思ったのですが、その頃でもサンツアーは供給が悪くなっていて、やむなくハブはデュラエースでした。一応NJSで揃えたつもりが、ペダルだけマークなしのシュパーブプロでした。しかしこの頃は良かった。何と言ってもカンパですらNJS作っていたのだから。パッケージに「KAILIN」と書かれていて、今でも欲しい部品のひとつです。
昔の夢よもう一度で、シュパーブプロもロードとピスト両方をワンセット集めたいと思っている。
ところでこのピスト、自分で部品をあつらえて組み上げたものだったが、 その目的は「市民自転車競技大会」に出場するためだった。競技は1000mタイムトライアルと個人追い抜き、4000m速度競争(競輪みたいな競技)に出場したのだが、4000m速度競争は予選で集団落車が発生し後方に付けていた自分が決勝に進んでしまうという大波乱のレースだった。結果決勝では最下位だったのだが、この競輪場をピストで走るということで自転車競技の真髄に触れることができたレースとして記憶に残っている。
なんといっても、フリーすら付いていない固定ギヤ、踏むと瞬間的に反応するピストは、もう痺れるほど面白い。
しかし飛騨に移り住んでからというもの、たまに練習に乗るくらいだったのだが、職場の人が「ピスト乗ってみたい」というので、格安で譲ってしまった。
というのもその少し前、もう1台のピスト、しかも、いわく付きのフレームを手に入れていたからだった。
NAGASAWA SPECIAL
故有名選手が使用していたといわれている個体、ものは中野浩一選手が乗っていたことでも有名なNAGASAWA号である。
車検シールが貼ってあるので、実際に競技で使われた機体であり、使っていたと言われている人もすごい伝説の人だった。
それでこの NAGASAWA号のフレームビルダーである長澤義明氏はイタリアのデローザでフレームを手がけていた方。日本に戻ってからはナショナルチームのメカなど引き受けたり、非常に多くのプロ選手に信頼されてフレームを供給し続けている。
で、見ていただければ判ると思うがこの個体、存在感からして全く違う。はっきり言って、実際に走ったF1マシンを個人で所有しているのと同じことなんである。一流の本物のみが持つ凄みをまざまざと感じさせてくれる1台だ。
この個体を入手した時はほぼフレームだけだったが、これを組み上げるに当たっては、大好きなサンツアーシュパーブプロをふんだんに投入して組み上げた。
ところで、最近「ピスト」というと、街乗りピストを指す場合が多い。アメリカからブームになったのだが、短いフラットバーハンドルやディープリムを取り付けたものが流行っている。まあ好みは人それぞれなのでなんとも言えないが、ピストはやはり競技場(ピスト=トラック)で走らせたいよねえ。
ちなみに、街乗りピストが増えたため、当局の監視が厳しくなった。つまりブレーキを装着しない自転車に対して取り締まりが厳しくなった訳だ。自転車乗りのマナーが低下したのが原因とは言え、自転車の普及に水を差されるような事態。
やはり組織的に「正しいスポーツ自転車の乗り方」を普及させる必要がある。自転車業界も売りっぱなしでなく、ソフト・ハード両面で指導するような体制つくりが必要だと思う。
パーツについて
しかし、日本の自転車部品の世界もシマノの一人勝ちという状況になってしまい、非常にさみしい。もともと僕はサンツアーユーザーで、ロードでもスプリントやサイクロンを主体に使っていた。シマノはデュラエースEXまではよく使ったが、aXの後はほとんど使っていない。現在はサンツアーがない(栄輪業の支援を受けてSRサンツアーとなったが、その後台湾企業に売却されて、昔日の面影はない)ので、カンパに移行したというわけです。で、カンパニョーロ。
「カンパさまさまカンパさま」というか、ご多分にもれず、かつてのサイクリングブーム世代の末裔としては、やはりカンパはいつまでたっても雲の上の存在であり、憧れでもある。同じエアロでも、なにかロボットアニメのようなデュラエースのデザインより、オーソドックスでエルゴノミクスなカンパのデザインが好きで、「デュラエース使えばいいやないか」と言われても、かたくなに安いカンパを使い続けてきた。まあ道楽でもあるし、多分に天の邪鬼的傾向のある僕は、サンツアーからカンパニョーロというラインで進んで来たわけだ。シマノのレースにカンパで出たっていいよねえ。
しかしいまやカンパのかつての栄光を知る人も少なくなって来たのだろうが、カンパは安いグレードでも性能はそんなに変わらなくて、けっこう使えるものですよ。きれいだし。(レースで使うのに、こんな理由で部品を選んでいるのだから速くなる訳がない)
しかし最近のロード界ではSRAMはじめ他メーカーも力を付けてきていて、カンパもうかうかしていられなかったか09からはスーパーレコードを復活させ、レース界の盟主たるべく活躍し続けている。
ランドナーを含む旅行車たち
では、ここで僕が組んだツーリング車を紹介します。ものはランドナーで久しぶりです。旧ランドナーは名古屋のニコーで購入した吊しのフレームを組みあげたものだったが乗り心地がしっくりせず、結局手放してしまった。その苦い思い出を反省し、初めてフレームをオーダーしたのでした。オーダー先は東京神田の「アルプス」。手紙で2回ほどやりとりし、結果このスケルトンとなったものです。
旧 新
さて旧ランドナーのスペックは、フレームサイズ530mm。フロントチェンホイールはパターンレスから抜いたオリジナル。当時出たばかりのデオーレクランク(昔はツーリング用パーツだった)とDDペダル(すぐ壊れた)、カンパヌーボ丸穴ハブ、650Aホイール(タイヤは1/2)シマノデュラエース初期型WレバーとFD、クレーン(デュラエースの出る前はシマノの最上級機)RD(後にカンパラリーRDとバレンチノWレバーにチェンジ)、ブレーキはグランコンペレバーにマファッククリテリウムを後ろ、マファックタンデムをフロントに装着していた。シートピラーはサカエのサンプレタイプ、ハンドルもサカエランドナー(アルマイトがきれい)パールステム、ランプはシビエという仕様だった。
これに対し、「アルプスランドナー」は、どうせなら納得いくものにしようということで、フルオーダー。
フレームサイズは520mm、ヘッドアングル72゜30’シートアングル73゜フォークオフセット55mm。フォークの曲げは、先曲げでなく70年代後半のレーサーの様な緩やかなタイプ。エンドはカンパロードロング(ダボ付き)で、F100mm、R126mm。ラグはイタリアンカットで、チューブはレイノルズ531フルセット。特殊加工は、Rrブレーキワイヤ内蔵、カンパタイプワイヤーリード、マジータイプ+巻きシートステー、ボトル台座(シートチューブ、ダウンチューブ)、ヒゲ長ホーククラウン、エンド当たり面メッキ、右チェンスティメッキ、ホーク肩メッキ、といったところ。イメージとのりごこちは70年代のクロカンレーサーといった感じ。(ランドナーぽくない)
ヘッド小物はカンパ鉄レコードBSCで1cmハイコラムスペーサーをかませてある。ディレイラーは後ろがカンパラリー初期型で前がレコード(穴なし)フリーはレヂナBXでチェンもレヂナエキストラカデナセリエオロレコード(穴あき)。クランクはストロングライト49DでリングがTAシクロツーリスト。マッドフラップはソローニュ(ギルベルソー)リムはスーパーチャンピオン650B、タイヤはユッチンソン35B。

シフトレバーはカンパレコード、ハブはカンパレコードLF、ホーク肩メッキ。ペダルは写真ではカンパだが現在はバレリシュープリームが付いている。トウクリップはカンパ鉄にストラップはクリストフのエキストラタイプ。サドルバック当たり止めに、昔の自転車鑑札を付けてある。サドルはイデアル#90黒(サインなし)、ピラーはカンパスーパーレコード2本締め27.0。
ハンドルはチネリジロデイタリア、ステムはチネリA1。そして、ブレーキはカンパケンタウロスカンティ(=ケンタウル:昔はMTBパーツだった)とレコードレバーの組み合わせ。レコードORとしたかったところだが・・、このブレーキさすがにカンパだけあって良く効くので、峠の下りも恐くはない。マッドカードはレフォール亀甲、今回の為に一週間かけて磨きました。バッテリーランプはなつかしいナショナル。なお、ここには写っていませんが、実際にはフロントバックが付いています。今や手に入らない犬印をあちこち探しまわり、カトーサイクルでやっと手に入れました。
しかし、こうして見るとそれぞれパーツにも思い出があります。
現在の状態。レースの後、ディレイラーをヌーボレコードのままにしてある。ブレーキ鳴きがひどいので、調整しなければ・・たまには乗るようにしよう。
追伸:アルプスの萩原さんから「閉店」のお知らせが来た。非常に残念なことだ。そのうちサイクリング自体も死語になってしまうのでないかと思うと悲しい。(2006.11)
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