「イタ車談義」その15
我が家のデルタも今年は車検。車検に出して何がどうなるか判らないので、「車検貯金」はやっている。
毎月1万円を積立貯金にして、2年やれば24万は貯まるという計算だ。何事もなければ、十分この金額で行けるはず。
納車整備が良かったおかげか、1年8ヶ月経った現在ノートラブルであり(事故は別)、拍子抜けするような状況ではあるが、走行も5万キロを超え、そろそろ駆動系やサスあたりにトラブルが出てもおかしくない。
逆にブレーキパッドなど減っていれば、いいものに交換しようとか、ローターも穴あきがいいなとか、マフラーも替えたいなとか夢は膨らむのだが、なにせ先立つものは「お金」。まずあと2年ベストコンディションで乗れる状態にするのが先決であって、余裕があればその他でお金を掛けることにするのが鉄則。
ひとつ不安なのはエアコンで、リキッドタンクに錆が来ていてやばい。ここらで交換するのが良いのだが、部品があるのかな。あとはクラッチ、ブッシュ・マウント関係、ベルト類は言うに及ばず、アブソーバもあやしい。ブレーキマスター、クラッチマスター・レリーズも当然やらなければ。と考えると30万くらいはすぐ行ってしまう。そう考えると、いっそ通勤用にデドラかテーマを30万くらいで買って、デルタは趣味の車にするのもいいなと考えてみたり・・プリズマのインテグラーレくらいあるといいのだけれど。
しかし世間では車を複数台持っていると道楽と見られるので(1台でも道楽なのか?)言い訳が苦しいか。転勤したら単身赴任先で盗まれてもいいようなボロい車を買うのだけどなあ。
将来、セカンドカーが持てるとしたら、遊べる車もいいかも。金額は50万以下で、候補としては、アウトビアンキA112アバルト、ランチアY10、フィアットパンダ、デルタ16Vあたり。いっそ思い切って100万出してマセラッティもありかな。


「イタ車談義」その14
ここで、イタ車について、おさらいしてみましょう。イタリアの自動車はと言えば、誰でも知っている「フェラーリ」しかし、フェラーリというのは、実は新興メーカー。1940年に初のフェラーリが誕生した(ただし、フェラーリの名は付いていない。それゆえ、1946年が最初のフェラーリという説もある)。では、現存するイタリアで最も古いメーカーはと言うと、「フィアット」なんです。1899年のこと。操業から100年以上が経った。その次に古いのが「ランチア」1906年、そして、「アルファロメオ」1910年、「マセラーティ」1926年と続く。フイアットと同じく、1899年創業のビアンキ−アウトビアンキは自転車のビアンキと祖を同じくするが、自動車のブランドとしては92年で姿を消した。寂しい限り。
一般に知られたイタ車は以上のものだと思うが、イタリアの自動車を語るうえで外せないのが、過去のメーカーと「カロッツエリア」の存在だろう。
カロッツエリアと言うのは、「架装屋」のように思っている人が多いし僕もそう思っていた。しかし、いろいろ調べてみると、これはもうコーチビルダーの範疇を超える仕事をしている。もうボディデザインに留まらずシャシ設計まで関与していたり、企画まで手がけている場合も多い。これも最近はモノコックが主流だからだろうか。昔だとシャシ共通で車名一緒でも、カロッツエリアによってボディが違う、ということも多かったが、最近はそんな例も少ないようだし。

ランチアフルヴィアのボディ3態
左ベルリーナ、右は2台ともクーペで、赤がザガート、白はランチア自社製

3台とも同じ車とは思えない。

いずれにしても、イタ車の黎明期からメーカーと共に歩んできたカロッツエリアだが、こんな家内工業的な工場で大量生産に向くはずもなく、最近では生産委託や少量生産のスペシャルを作る場合が多い。デザインや設計だけやっている場合も当然ある。
ところで、カロッツエリアが独自のブランドで自動車を作る例も多いが、そんな車も含めて過去の中小メーカーの名前を挙げてみる。
イノチェンティはオースチンと提携しミニクーパーも作っていたことで有名だし、イセッタはバブルカーのパイオニア。
イターラは北京−パリレースで名を残し、ランボルギーニやイソ・ビッザリーニ、デトマソはフェラーリに対抗して生まれた。
アバルトはフィアットのスペシャル版を数多く作ったが、現在はフィアットのレース部門のようになっている。
チシタリアは革新的なF1や優れたデザインの乗用車で名を残したが、資金不足で消え、OSCAはマセラーティ兄弟によって設立され一時は活動停止していたが、近年突如復活した。
ASAはベイビーフェラーリを作ったがしばらくで消え、ジャンニーニ、モレッティ、イソッタ、ナルディなどは部品で生き残った。
ギヤ、シアタ、ヴィニャーレ、ザガート、トゥリング、フィッソーレ、ベルトーネ、ピニンファリナなどはカロッツエリアとして、あるいは他社に吸収されながら生きながらえて現在もある。
このほか、レーシングカー専門のコンストラクターなどを含めると他にもあるが、一般的に知られるのはこの程度だろう。
これだけ知っていれば、十分「イタ車マニア」の会話に付いていけます。もっと詳しく知りたい時は、ネットに聞くか、図書館で調べるか、マニアに直接聞いてみるのをお勧めします。
もっと、「イタ車」について熱く語ろう。

「イタ車談義」その13  雪道通勤デルタ
冬は雪道の通勤ということになるが、ここで雪道の通勤風景を紹介します。

出発するのは、朝7:15。まだ辺りは薄暗い。冬の朝はだいたいこんな空もよう。デルタは左ハンドルなので、右方向は視界が開けている。
この日の路面は圧雪で、温度が低い(−5℃くらい)と、ミシュランマキシアイス2には最適のグリップが発生する。
この状態だと、僕でも他の車に付いて行くことができる。
この辺りのガードレールは、上端が黄色の塗装がしてある。雪がない時は意味がわからないが、雪が積もるとごらんのとおり、よく意味がわかる。視線誘導の目的があるんだね。外側線がわりで、たのもしい。
スピードを落としていても、交差点はやはり安全第一。しかし、地元民はカウンター当てながら曲がって来たりする者もいる。遊んでいるらしい。
まだ時間が早いので、車は少ないが、7:30過ぎると、大渋滞となる。
前の車は左に寄せているが、実はいま僕が通過している所は橋の上なので右に寄っている。しかもこの橋、ガードレールも無ければ段差も無い。雪で隠れているが、タイヤ2本分左に寄れば、確実に「落ちる」。12月の中頃、実際に左側の川にさかさになってひっくり返っている車を見た。
夏なら30分のところ、峠を通って約45分で到着。しかし、真面目に国道で来れば、1時間20分はかかる。峠のリスクはあるが、この差は大きい。
車を降りたらワイパーを立てるのがお約束。忘れると帰りが大変。ドアも不用心だがカギはできない。凍り付いて開かなくなる。

「イタ車談義」その12  冬のデルタ

デルタのタイヤをスタッドレスタイヤに、ワイパーを冬用に替えた。これ以外にも、不凍液、冬用ウオッシャ液など、冬用品に掛かる費用はばかにならない。だからこの辺りでは自動車税が安いとかの恩恵があるのだろう。
ところで、今使っているタイヤは、ミシュランの「マキシアイス2」極寒地仕様。圧雪での効きはそれだけ良くはないが、2年目3年目の性能低下度合いが少ない気がする。
スタッドレスタイヤというのは雪質によって使い分けが必要で、北陸のような軟らかい圧雪やシャーベットならブロックパターンで幅が狭めのもの、飛騨、信州や北海道の硬い圧雪やアイスバーンでは幅が広く溝が
たくさん付いているものが良く効くと言われている。中間的なパターンもあるが、性能は?しかし平地で売っている国産タイヤはこのタイプが多い。スキーやる人は主に行くスキー場付近の雪質に合わせたタイヤ選んだほうがいいよ。

ところで、冬道のデルタの走りは「その11」にも書いたとおり、ワイドトレッドのなせる技か、とっても安定している。ブレーキのABSも国産車のように「壊れたんじゃないか」という音は立てないし、効きがスムーズ。それでいて、ブレンボの4ポットキャリパーは強烈でしかも安定したブレーキの効きを味わわせてくれる。
それと、タイヤ・ホイールなのだが、実はこのホイールは以前乗っていた「スバルインプレッサ」のホイールを流用。
ここで?と思った人はマニアですね。
実は普通、スバル用のホイールはデルタには取り付かない。なぜか。そう、PCD(ピッチサークルダイアメーター)が違うから。これは、ホイールナット(ボルト)のセンターの描く円の直径のことですが、スバルが100mmに対してデルタは98mmなんですよ。
では、どうしたか。ここで登場するのがなんとShinZan設計による、「PCD変換及びワイドトレッドスペーサー」という訳。
当然ワンオフもの。
写っているスピードラインのアクロRを捨てるのがしのびなく、しかも93年にジョリークラブが走らせていたデルタもグラベルではこのホイールを付けていた。93年デルタの最高位2位をアクロポリスで獲得した時もこのホイールだった。アクロポリスにゆかりのあるこのホイールを使いたかった。
そして自分で採寸し、ブレーキ熱による膨張も考慮し寸法を設定して、簡単な図面にして持ち込んだのは、ラテン車で岐阜では有名な「レッドポイント」だった。
「なんとかしてみましょう」との返事とともに、その後何回か電話と手紙でやりとりしてハブ穴等詳細の仕上げの打ち合わせを行い、しかも、1回は工場との連絡の行き違いで「ナット仕様」になっていて作り直してもらったりしたが、試行錯誤の結果できあがったスペーサーをいざ付けてみると、完璧な取り付け精度で、大満足。しかし、その後レッドポイントの広告見ると「オーダーでPCD変換アダプター作ります」だと。なかなか抜け目ないショップだ。
なにはともあれ、めでたくこのホイールをデルタに装着することができ、しかも20mmワイドトレッド化をした。つまり、冬は1520mmというセルシオに迫るトレッドになったのだった。

「イタ車談義」その11  デルタのポジションについて

デルタの運転席です。ノーマルとの相違点は、ステアリングホイールを「モモベローチェレーシング」に交換、クイックシフトの導入、シフトノブの交換、シフトブーツの交換、といったところ。おとなしめのモディファイでしょう。左ハンドルの視界は特に右前方にピラーが無いため、右ハンドルより開放感が高い。右コーナーには強い左ハンドル。左コーナーはぎりぎりまで寄せることが出来て、これも良し。あえて言えばすれ違いと渋滞時の右折が弱点か。
ウインカーは左、ワイパーは右、メーターの圧力表示も「Bar」だ。(ところで今はPa表示になったのかな)ちなみにスピードメーターは240km/hまである。(使ったことないけど)メーターは、スピード、タコ、ターボ、燃料、水温、電圧、油圧、油温、と8個もある。
まず日本車では見られないペダルレイアウト。左ハンドルだからこそ、このペダルレイアウトで普通に使える。何が違うか、フットレスト見てください。これはホイールアーチが出っ張っているんですが、日本車は右ハンドルなので、このままの設計だとアクセルがかなり左にオフセットし、足元が窮屈なものになってしまう。日本車はこれを避けるため、サスストロークを短くしたり、ホイールベースを長くしたり、着座位置を後方に下げたりしているが、それは自動車の運動性能をスポイルする方向に働く場合が多い。ホイールアーチが大きいのはすごいアドバンテージがあり、ホイールの大径化やサスストロークの設定の自由度が大きいなど、この2点だけでも国産のマシンが追いつけなかった理由になる。基本性能重視。日本と外国のメーカーの設計思想の違いが見える。イタ車は左ハンドルが乗りやすい。
シートポジション。デルタはラリー車なので、着座位置はあまり低くはない。フロント、リアのオーバーハングは短く、取り廻しは非常に良い。フロントトレッドは1500mmもあり、何とフェアレディZやR32GT−Rより広いのである。この広いトレツドと、先の短いホイールベースは、非常にニュートラルなヨー特性(Z軸まわりのモーメント)を生む。つまり、唐突なステアリング特性になりにくく、コントロールしやすいということが言える。以前インプレッサに乗っていた時、凍結した低μ路でスピンしたりコントロールしにくい状況を経験したが、デルタではこんな「ドキッ」とする場面が無く、凍結路でもガンガン前に行けるようになった。ところでこのシート、ものはレカロのSR−Uなんですが、アルカンタラ張りになっている。運転席の左側面だけ、国産生地で張り替えてあるので、見てのとおり色が違う。唯一このデルタで今直したい部分。誰かアルカンタラ取り扱ってるとこ知らないかなあ・・