メカばか講座はこちら

自動車について    

世に車好きは数多かれど、○○○というメーカーの車だから好きという人がまだまだ多い。まあ、それも「信頼性」や「装備の嗜好の方向性」という点でひとつの基準ではあるにしても、昔のイメージのみに囚われ「○○○○車はだめだ」と、ものも見ないで決めつけたり、それどころか他人に吹聴してはばからない人も多く、またそういう人の意見を鵜呑みにしてしまって買う人も居るという情けない状況もよく耳にするが、それだけで車という高価な品物を選んでしまうのは軽率ではないですか?
まあ、僕自身もそういう傾向が無いとは言えないので二枚舌になってしまうが、自動車をマイカーとして所有するということは、人間の子供に「戸籍」があるように、「自動車登録証」という非常に重みのある書類が付属しているわけで、まさに自分の子供と言っても良いくらいの公証性が自動車というものには存在している。
メーカーもこれだけ数多く存在している。つまりそれだけ多くの違う価値感でもって自動車は製作されている。人間に個性というものがあるように、車にも個性が存在している証拠だ。
つまり、自分の自動車を選ぶという行為は、まさに自分の価値観を他人に示すことにほかならない。
だから僕は「適当に」自分の車を選び購入する人を信用しない。そういう人は何事につけて適当な価値観をベースに生きている人なのだろう。
反面、たとえその人のマイカーが軽トラであっても、その特性を熟知し愛着を持って所有しドライビングしている人を応援する。そのような人は本当の「車好き」なのだろう。
実際に細かく周りの人を見ると、車が好きな人には「前に乗って好き」と「後ろに乗って好き」「車庫に納めて好き」な人に分かれると思う。傾向としては前に乗るのが好きな人は「メカ重視・走り理論派」で後ろに乗るのが好きな人は「装備重視・雰囲気派」、と「蒐集家」と見ているが、メカ重視は「毒」、装備重視は「飴」だとも思う。言い換えればリスクを好むか、好まないかということであり、運転するのが好きか旅を楽しむのが好きかということ、あるいは物事を追求するタイプかそうでないタイプかとも思う。
まあ能書きはともかく、僕がどちらかの分類かは説明するまでもないでしょう。



自動車よもやま話
4輪自動車の生みの親は、かの「カール・ベンツ」ですが、もうひとりの自動車の生みの親「ゴットリーブ・ダイムラー」は一般にはあまり知られていない。しかしダイムラーが興した会社で作っていた「メルセデス」、そして「フェルディナント・ポルシェ」が技師長に就任した後の1926年にダイムラーとベンツが合併。その車名が「メルセデス・ベンツ」になったということは、以外と知られていないだろう。不思議な話だが、カール・ベンツはもともと自動車製造はあまり乗り気でなかったらしい。現在のベンツがあるのも、ダイムラーやパナールといった「車好き」な人々のおかげなのだろう。

自動車製造を初めて商業ベースにのせた会社は、フランスのプジョーとパナール(プジョーと分かれた。後にシトロエンに吸収される)と言われている。この最初のプジョー、パナールに搭載されていたのが、ダイムラーのエンジンだった。プジョーは世界で初めて自動車に空気入りタイヤ(ミシュラン)を使用したり、世界初のDOHCエンジンを採用したりと、高性能な自動車を次々と繰り出し、現在も大メーカーとして君臨し続けている。プジョーは自転車の製造でも有名。だがこの大メーカーもスタートは女性用下着(ペチコート)の張り線や傘の骨などを細々と作ることから始まったことを知る人は少ない。
パナールは現在のFRレイアウトを作ったメーカーとして有名。自動車の歴史では黎明期において輝かしい歴史の1ページに存在した。しかし会社経営は思わしくなくシトロエンに吸収され、近年シトロエンはプジョー傘下に入ってしまうため、結局はプジョーに戻ったようなものだろう。

自動車の黎明期においては、自動車の技術はレースによって向上した。レースで優勝を収めれば即販売に影響する時代だったからだ。現在では少ないが、メーカーにレース部門があったところが多く、「ファクトリーマシン」という言葉があるのも、昔のなごり。

そのレースの世界では、イギリスに本拠地を置くチームが多い。それというのも、もともとイギリスという国は小さい自動車メーカーに有利なところだったからだろう。ロータスやクーパーなどバックヤードビルダーと言われたメーカーが生き残れたお国柄、そしてその小メーカーを支えていたのは、無数の部品メーカーであるのは違いない。たった1個の部品でも削りだしで作ってくれるような職人気質。どこかの国の部品メーカーの様に、「ロットが集まりませんので作れません(作りません)」ということがないのだろう。
そんなスペシャルパーツに対応できる会社が多いからこそ、そこを頼ってレーシングチームも集まってくる。

日本でも、いい町工場はかつては多かったのだろうが、現在の状況では寂しいかぎり。モノを作るという一番根っこの部分がなおざりにされている。虐げられている。技術というものは図面上や計算上だけではなくそれを現実の形とする技術も重要であるということを今の日本社会は忘れている。ただ単に安く作れて売れれば(儲かれば)何でもよいという風潮になっている。今のままでは日本の自動車はポリシーのない、つまらないモノになってしまう。(もうなっているのかも)

世界中を席巻している日本車だが、レースやラリーなどで活躍しているのは外国のチームが多い。専用のスペシャルパーツ(特にサス、ミッション、ブレーキ)を作っているのも外国ばかり。日本のメーカーはエンジンは得意なところが多いが、シャシ、サスペンション含めた総合力は?という感じ。
しかしよく考えてみれば解るが、コンストラクターズチャンピオンというのは、シャシメーカーなんだよね。エンジンメーカーはあくまでサプライヤーであり勝てる性能というのはエンジンでなくシャシにある(まあエンジン含めてシャシなのだが)。日本のメーカーも「総合的な自動車性能とは何ぞや」と基本に返り、シャシ設計の思想を強く掲げたバランスの良い車づくりをやってほしい。
それと近年は自動車の世界も業界再編というかグローバル化が激しくなってきた。単独メーカー同志の戦いはとうの昔に終わりをつげ、かつての敵同志が相互OEM供給や共同開発するような時代となってしまった。まあ各社それぞれ生き残りのためのやむを得ないものとは言え、個性的で趣味性の高い車(メーカー)が少なくなってしまったのは残念なところだ。

ところで現在、自動車が走れるのも「オットー」「クラーク」「ディーゼル」という3名の技術者が発明した「内燃機関」のおかげだが、それぞれ今では「4サイクル」「2サイクル」「ディーゼル」と一般に言われている。自動車用内燃機関としてはあと「ヴァンケルロータリー」が挙げられるが、これを商業ベースに乗せた唯一のメーカー、「マツダ」の技術力も特筆されるものだろう。初めてルマン24時間で優勝した日本車はマツダだったということもこれを証明している。近年発電用エンジンとして新たなロータリーエンジンを開発するなど、その特徴ある技術を生かしている企業姿勢は応援したい。

その他、エンジンだけに関わらず車の部品には人の名前に由来する物が多い。現在は無くなってしまったメーカーの名前も部品の名称として細々と生き残っていたりする。自動車整備を学んだ人や一部のマニアの人は、ご存じのとおり。
これらの部品を始め、自動車の主要な構造は20世紀の初めに確立されたものだが21世紀を迎えた今、どのような自動車が今後増えていくのだろう?
今後電気自動車、電動自動車、燃料電池自動車が増えていくにしても、もっとわくわく出来る、その車を作った人(メーカー)の顔が見える自動車に育ってほしい。

最近はコスト縮減だとか環境だとかがもてはやされている。環境対策などは当然やらなければならない課題ではあるが、どうしてもポーズだけの様に見えて地道な努力しているところのアピールが下手というか何か環境団体や報道関係に過剰に反応しているように思えてしかたがない。
例えばディーゼルの黒煙がよく問題視されているが、よく考えれば黒煙というのは炭素が固定されたものだ。黒煙を拡散させるから問題になるのだが、炭素をそのまま固定化させておけば、二酸化炭素の総量としては減らしたことになる。大型自動車用エンジンとして大多数のディーゼルに対する対策をもっとやれば実際の効果は大きいだろうに、比較的目立ってお金の取れるEVシフトやハイブリッドなどの技術を一生懸命宣伝していたりする。現在の世の中であるならば、各メーカー連携して10年も経った特許くらい無償で解放し共同開発の輪を広げていけば、あるいは技術開発専門の会社を共同で設立すれば、現在のような高価な車でなくもっと安価に良い車を供給できるのでないかな。こうなってくると建築物のように意匠が重要なものとなってくるだろうし、品質の劣るものは自然に淘汰されるのでないかな。
といいながら自分は趣味性の高いワンオフ品など大好きなので二枚舌と言われてしまいそう。
いずれにしてもワクワクする安価で高性能な自動車を作ってほしい。

また何処かに書いたと思うけれど近年過去の自動車をEV化する会社も現れている。これなどもまさに物を消費するだけでなく3Rの精神を具現化するものであり、今後期待する分野の話ではあります。



自動車の安全って何?

基本のページでも書いたが、最近は電気部分が万能の様に思われていて、コストを下げる部分というのは大抵機械部分だ。
自動車などの話しでも今のものは何かにつけて中がスカスカだったりする。しかしこういうものも安物はすぐ壊れる。単純に強度を低く設定しただけなのだから当然だ。これを細かく見ると一番最初に目を付けられるのはシャシ。最近の自動車を下から見たり分解するとすごいよ。昔の車を見慣れた者には信じられないような状況。アーム類は打ち抜きのペラペラ、軸やベアリングも分解できないタイプ(壊れたら交換ということ)、モノコックも弱いのでサブフレームタイプ(これにはユニット生産という側面もある)で、やばそうなとこ以外は極限まで材料や材質をケチってあるし、部品のバリも取ってないなどほんとに手を掛けていないということが判る。。
もっと真面目に作ってくれと言いたいところだが、メーカーは「ユーザー志向」だとおっしゃる。
しかし、自動車を運転する人、整備する人、設計する人、製造する人全てに聞きたい。ほんとにそれでいいんですかと。
大事故を起こした車を見たことありますか。
最近の自動車はちょっとした事故でもうバラバラになってしまう。1回転したらまず屋根は潰れて中の人は確実に死亡するだろう。クラッシャブルボディーといっても、ボデイがちぎれたら中の人もちぎれる。レーシングカーなどのボディ(シャシ)とは比較にならないクラッシャブルボディだ。クラッシュテストというのは前面と側面が主で、ひっくり返って屋根から落ちるということはあまり想定されていない。
全車ロールケージの入った、人間を確実に守ることできる丈夫な車に乗りたいと願うのは僕だけだろうか。