1974-1975-1976-1983-1987-1988-1989-1990-1991-1992,WRC WINNAR

History of LANCIA

ランチア(LANCIA)は1906年(明治39年)にヴィンチェンツォ・ランチアにより創設された。
vincenzo-Lancia
彼は若い頃にはフィアットのレーシングドライバーとして鳴らし、その後自らの名を名乗る車を作るようになった。
独創性の高い最新の技術を積極的に採用していたのは有名で、その後の自動車業界に多大な影響を与えた。モータースポーツの分野では、自らがレーシングドライバーだったこともあるのだろうが、初期から精力的にレースなどでも活躍していたが、レースなどにつぎ込む費用によって会社はしばしば財政不安に見舞われていた。

第二次大戦後の1950年代にはフィアット−アルファロメオ−ランチアと渡り歩いていた名技術者、ヴィットリオ・ヤーノ設計のアウレリアGTがスポーツカーレースで活躍。その流れを汲むレーシングマシンはGPにも参戦した。しかし当時はフィアット、アルファロメオがGPを撤退したあとで、イタリアで残ったのはランチア、マセラティ、フェラーリくらいであったが、ランチアはF1レースでの事故(1955年、エースドライバーのアルベルト・アスカリ死亡)などもあってレース活動自体を縮小しなければならなくなってしまった。そこでランチアF1チームをマシンや技術者(ヴィットリオ・ヤーノも)もろとも、当時ベンツにどうしても勝てず低迷していたフェラーリに売却してしまった。
LANCIA F1  AureliaGT
この「ランチア-フェラーリ」はその翌年の1956年にベンツがF1レースから撤退したこともあり、チャンピオンとなる。
さらにヤーノやフランチェスコ・デ・ヴィルジリオの設計によるアウレリアGT用V6エンジンはその後のフェラーリF1用「ディーノV6」エンジンに影響を与えた。ランチアはフェラーリF1の先駆車であったと言ってもよい。

ランチアはGP撤退後しばらくはロードカーに専念しアッピアやフラミニアといった名車を生み出すが、財政的に余裕が出てくると、1963年にはHFスクアドラ・コルセを設立、再びレースやラリーに参加するようになった。この頃は息子ジャンニの代になっていたが、父に輪を掛けたモータースポーツ好きが災いし、再び会社は財政不安となり、ついに会社自体1969年にフィアットの傘下に入ってしまう。しかしながら、フィアットの経営陣にそのモータースポーツごころは細々ながらも伝えられ、近年ではラリーカーで大活躍した。1973年から始まったWRCではストラトス(1974〜76)、037ラリー(1983)がチャンピオンマシンになっているし、デルタに至っては1987〜1992の6年連続世界チャンピオンとなった。1991年でワークスとしては撤退し現在では再びロードカーに専念している。

今では、フィアットとベースは同じだが上位モデルとなるロードカーを展開しているが、日本での知名度はそれほど高くはなく、知る人ぞ知る車といったところである。特に近年では、アルファロメオがフィアット傘下となったことから、イメージがダブると見られるのか、ランチアブランドとしては縮小の一途を辿っていて、寂しい。
アルファはスポーティサルーン、ランチアはGT(グランドツーリング)という位置づけであったが、ランチアはハイソカー方向にシフトしていく考えらしいけれど(クライスラーの名前で売ったり・・)、そこの究極イメージにはフェラーリ傘下のマセラティ御大があるし、行き先が見えない状態。
もともとランチアはイソッタフラスキーニ亡き後、政府御用達の車だったのに、テージス以後の展開もないし・・

ちなみに日本において、以前はガレージ伊太利屋が正規代理店で輸入販売していたが、現在日本への正規輸入はなく、並行輸入で少数が入って来ているのみである(それもクライスラーブランド)。残念・・

戦前から戦後の名車
 Alpha(1907)最も初期の車、ギリシァ文字が車名になった最初。

 Theta(1913)第一次大戦前の傑作車。

 Augusta(1933)V4エンジン採用の車、一体構造のボディが斬新。

 Aprilia(1936)スポーツカー並の性能を持った小型車の傑作。モノコックボディ。

 AureliaB20(1950)50年代の傑作。V6エンジン搭載。その後のレーシングマシンのベースとなった。1954年のラリーチャンピオンマシンでもある。

Flaminia(1950)アウレリアの後を継いだ高級車。

ラリー車など

Fulvia(フルヴィア) フィアットに吸収される以前の車としてランチアらしさを残した最後の車。1972年にはインターナショナルチャンピオンを獲得、1974年にはランチアのWRCタイトル獲得にも貢献したマシン。独特の狭角V4エンジンはストラトスの試作車にも使用された。デザインはピニンファリナが担当した。
Gr.4 CoupeHF(1968) 狭角V4エンジン

STRATOS(ストラトス)1973  あまりにも有名な、スーパーラリーカー。1974〜1976の3年連続チャンピオンマシン。ディーノV6エンジンを搭載。アリタリアカラーが有名だが、初期はマルボロカラー、1978年にはフィアットアバルト131ラリーにアリタリアカラーを譲り、ピレリカラーで参戦した。ランチアとしては珍しくベルトーネのデザイン。生産台数約400台
Gr.4

Rally(037ラリー)1982  親会社のフィアットの横やりで、ワークスから外されてしまったストラトスだったが、フィアット131は4WD時代の始まりとともに戦闘能力が劣り、再びランチアでWRCを戦うことになった。ストラトスの思想を受け継ぐ037ラリーは、ベータモンテカルロのセンターモノコックに前後鋼管フレームという造りで、1983年のチャンピオンマシンとなった。この車以後、2輪駆動のチャンピオンマシンは出ていない。アバルト製直4DOHCスーパーチャージドエンジンを搭載する。デザインはピニンファリナ。生産台数約200台
Gr.B 

038デルタS4(1985)  WRCは4輪駆動のモンスターマシンがしのぎを削っていた。ランチアはミッドシップフルタイム4駆ターボ+スーパーチャージャーという、現在考えられる全てのメカニズムを投入した、デルタS4をWRCに送り込んだ。しかしグループBマシンは、あいつぐ死亡事故により危険との理由で86年限りで終焉を迎えることとなってしまう。。S4はランチアで唯一WRCチャンピオンになれなかった悲劇のマシンとして、ラリーファンの記憶に残されている。生産台数約200台
Gr.B

デルタHFインテグラーレエボリューション(1992)  デルタは1979年に発表された。1986年にマイナーチェンジした時に4×4が追加される。この車が、グループAで戦うことになった1987年にいきなりWRCチャンピオンに輝く。1988年には「インテグラーレ」に進化し、1992年登場の「エボリューション」は最終進化型。6年連続のWRCチャンピオンは不滅の金字塔。1994年に生産終了。うち、エボリューションUは、わずか1224台生産された。エンジンは当初直4、8バルブターボから始まり、最終型は16バルブターボに進化していた。デザインはジウジアーロ
 1988HF Integrare8V 1987HF4WD

Gialla EvoluzioneU(1994)

現在のランチア
現在、ランチアの車は主にヨーロッパで販売されており、日本には並行輸入でわずかな台数が入って来ている。大人しい雰囲気の車が多い事もあって、売れ行きはそれほどでもない。新型のフルヴィアに期待したい。

Ypsilon Musa Lybra

Phedra Thesis


photo by LANCIA