※警告 以下のコンテンツは話しの内容上、差別的表現が含まれていますが、
興味本位や誹謗中傷を目的としたものではありません。以下読み進むかは良識あ
る皆様の判断にお任せいたしますが、こういう見方もあるのだという程度に考えて
頂きたいと思います。
この話題に近寄りたくない場合は勇気ある撤退をお願いいたします。

色の話しをしましょうか。
このホームページでは色の話題をよく取り上げている。しかし、色というのは人によって
見え方が違うということを普通は考えもしていないだろう。
しかしそういう「気にもしない」と、他人も自分と一緒の色を見ているのだと錯覚してしまう
ことになる。場合によっては「
自分の見ている色が絶対正しい」と思いこんでしまう。
だが、もし仮にそのような事態となればその瞬間にいわゆる「バカの壁」が立ちはだかった
ことに等しい。つまり「自分のことしか考えていない」という状態だ。言葉を替えて言えば「聞
く耳を持たない」という状態とも言えるだろう。このような状態では何を言っても無駄になって
しまう。
話しがそれた。でもここで言いたかったのは、少数者の話しも抹殺せず尊重するべきだという
ことだ。

実は色の感じ方について、少数の異なる感じ方をする人がいるのはまぎれもない事実だ。
世の人はその人々を「色盲」「色弱」「色覚異常」などと呼んで区別する。反対に普通の人た
ちのことは「健常者」「晴眼者」などと呼んでいるらしい。
では区別してどうなるのかというと、直接的には進学や就職に制限がかかるわけです。こ
の実害が一番大きい。二番目には「異常者」「先天的障害者」という見えないレッテルが貼
られる。場合によってはこちらの方が怖い。
なぜこのような悲しい事態になってしまうのか。これは人間が本能として持っていると言っ
てもよい、「理解できないことを極度に恐れ、それを排除する行動を取る」というパターンが
その本元にある。
例えば自分の口に合わない珍味をある店で出されたとして、後日友人に「あの店は不味か
った、行かない方が良い」と、友人が実は珍味が大好きで、その味覚は自分とは違うかもし
れないということは考えずについ口に出してしまったりするでしょう。
これと同じように、健常者(こういう呼び方も好きではないですが)と自分で思っている人は、
自分と異なる色の価値観を持つ人を見た時、自分の世界を守ろうとして、恐れ、分別し、遠
ざけようとするのです。
そのような他人を排除するという気持ち自体、排除されるべきであるのに。

ところで、古くから色を判別する能力(弁色力と言ってますが)を調べるのに、「
石原式」という
検査方法があります。
健康診断などを受けるとお医者さんがよく持っている古くさい本で、色のぶつぶつがいっぱ
い印刷されているアレです。もともとは徴兵検査用に使われたという、いわくつきの検査法
です。これに合格しないと「甲種合格」にならなかったんですね。甲種合格でないとイジメの
元にもなりかねませんでした。
ともあれ、アレの何がいやだって言うと、その本を持って検査をする人が「こんなこともわから
ないの?」というようなまるで化け物でも見るような表情を被検者に向けているのがいやな
んですね。以前など、あからさまにそういう顔をされるのでカッとして、逆に判っていても「判ら
ない、読めない」と言ったりすると、平気で「全色盲」などと診断票に書くとんでもない検査者も
いたようです。
まあ、中にはよく被検者の心情を判っている人もいて、そういう良いお医者さんなどに当た
れば救われた気持ちになるのでしょうが、眼科の看護婦さんですらその辺りの「
心の機微
を理解してもらえない人がいるのも事実です。
(でも僕がパネルD−15(弁色力検査方法のひとつ)をやった時の看護婦さんはとても応対
のやさしい、すてきな人でした。)

弁色力には程度があって、完全な標準にぴたりと合う人は珍しいのではないだろうか。
「わたしは標準だ」と思ったとしても「その日の検査のうえでは」という話しでしょう。
というのも、人間のことなのでその日の体調にも影響されるし、目の左右でも違う。試しに
片目ずつ交互に目をつむってごらんなさい。全く同じ色には見えないかもしれませんよ。
(因みに僕の場合、右がアンバー寄り、左がマゼンタ寄りに見える)
一人の人間の左右の目ですら差があるのだから、自分が他人と全く同じ見え方をしている
と考えること自体が不自然でしょう。
個人的には指紋などと同じく、10人いても全く同じ見え方をする人は居ないのではないか
と考えます。
ちなみに標準的な色、カラーチャートやJISの標準値でも当然許容値というものが設定され
ている。これなどは最初から色の見え方の誤差は存在するという証拠なのにね。
けっこう「私は標準だ」と思っている人が色に関してただ無関心なだけだったりする。
許容値の話しで言えば、石原式は結構厳しい許容値のようで(その割には判定が大雑把)、
これで色盲と判定されてもパネルD−15では「全く正常の範囲」と判定される場合も多い。
この話しひとつ取ってみても、いたずらに色弱の人を排除するのは何のため?という疑問が
わく。

昔、「宮中某重大事件」というのがあって、昭和天皇の奥方(長子皇太后)が結婚する時、
色覚異常の家系であるから天皇家には相応しくないという情報をばらまいて、裏で政治家
同士が自分の息のかかった女性を皇后にしようと暗躍した事件があったらしい。
日本人は「先天異常」というのをことのほか嫌う。一番心を痛めたのは長子皇太后だったろ
う。でも、昭和天皇はよくできた人だった。「そんな話は関係ない。私は長子を皇后とする」
と、まさに国の象徴に相応しい対応を見せたのだった。
結果として、仮に長子皇太后に色覚異常の因子があったとしても、現皇太子や秋篠宮には
遺伝学上も、色覚異常はないはずである。

また話が脱線した。
では、色というのは何なのか。色というものを認識するものは何なのか。これを解くカギを記
したおもしろい本がある。
エリック・カールの「こんにちはあかぎつね!」という本である。
エリック・カールは「はらぺこあおむし」などで有名な絵本作家です。この「こんにちはあかぎ
つね!」の表紙には「みどり色の」きつねが描かれている。
きつねは赤いというのは知識としては知っているのかもしれないが、ではその色はどういう
色なのだ?と追求するのである。みどりと思っていたら赤だった。という自分の常識と違う感
覚を受け入れることを、この本は求めている。色の概念をこれほどわかりやすく描いた本は
ない。そう、
色というのは心理的なものであると訴えているのだ。
特にこの本では「ゲーテの色相環」を題材としている。(ゲーテはあの偉大なる詩人)詩人が
色の科学を研究していたという事実も象徴的だと思う。
つまり、色というのは感性そのものであり、それゆえ色を扱うものは「芸術」に分類されるの
であろう。絵画、写真、映画、陶芸、書しかりである。究極の色は白と黒であろう。

昔、学生時代にやっていた写真は白黒写真が前提だった。その世界には色を云々する考
えはなかった。階調の話しや硬い軟らかいという話しはよくしたが・・
翻って現代。色表現も何百万色というのがもてはやされている。それでいて、他人の作品を
まだ「色表現が変」などと平気で言っている人が居る。おかしな話しだ。これも「自分の価値
観のみしか信じない」ためだろう。
そういう色をしていたっていいじゃないか。その人がその色に感動できれば、どんな色だとい
うのはあまり関係ないじゃないか。
だいたい、フィルターワークやフィルムの選択があるとい
う時点で、色の価値観を他人に無理に押しつけるのは間違っていると言ってよい。
固定観念に支配されるのは進化の妨げにしかならない。

少なくとも、理由もなく色の見え方による差別があってはならない。日本人で色弱の人は5パ
ーセント程度と言われているが、ヨーロッパなどでは約20パーセントも居るのだ。それゆえ色
の見え方については寛容なのかもしれない。

では肝心の、「色弱の人はどんな色を見ているのか」という話し。ここにサンプルを示してみる。

 

 

左上の写真を見てほしい。これは何もレタッチしていない画像である。普通の人にはこのよう
に見えているとしよう。
普通の人が考える色弱者の見ている世界は、いろいろな人の意見をまとめると右上か左下の
写真のようなものだと言っている。
ところが、
実際に「赤緑色弱」と呼ばれる人の見ている世界は、右下のような状況に近いと考
えられる。実際にはこの程度の差なのだ。

ではどこが違うのか。赤緑色弱の場合は、赤に対する反応が少ないことから、赤の色乗りが
悪い。ただし、赤は赤く見えるのである。そして、全体的なラティチュードは若干狭いと考えら
れる。イメージとしてはデジカメの画像やポジフィルムっぽいのかもしれない。

だがここで普通の人には疑問が起こるはずだ。右下の状況であるのならなぜ赤と緑の判別が
できないのかと・・

これを理解する糸口が、先の「色とは心理的なものである」という言葉だ。
例えば茶色い犬やきつねを「あかいぬ」とか「あかいきつね」という。あるいは緑のことを「あお」
と言ったりもする。茶色=赤ではないのに、そう言われている。なぜなのか。
これは色の概念の問題だ。つまり普通の人は「茶色には赤色成分が入っているから、大きいく
くりで言えば赤に近い」と考えるが、色弱の人は茶色と赤とは「色として断固違う色だ」と認識す
るのだ。茶色は色としてはくすんでいる。その点に敏感だとも言える。
誤解を恐れずに言えば、色弱の人は「色の明るさ透明感から総合的に判断すると、花の色は葉
っぱの緑に近い美しさがある」と思うのだ。(どういう色かは気にしないのがみそ)
そのため識別しにくい色というのは、からし色と黄緑とかうす緑とピンク色とか、色の明るさが近
いものについてよく現れる。

もうひとつの例えは、色の作り方にも現れる。例えば画用紙に「レモンを描きなさい」と言われた
時、普通の人は黄色に白を混ぜてレモン色を作りました。ところが、色弱の人は黄色を水で薄
めて塗りました。
この意味が判りましたか?色弱の人は色そのものの濃さを重視するのに対し、普通の人は色
を薄くするには中間色を入れれば良いと考えたのです。しかし・・
では聞こう。本物のレモンの色は白く濁っていますか?レモンはあくまで淡い鮮やかな黄色なの
ではないですか?


もうひとつの話は、モンシロチョウが雄と雌をどうやって見分けているかという話です。多くの昆虫
は紫外線が見えると言われている。紫外線フィルムで撮影すると雄と雌は全く違う色に見える。
では聞こう。モンシロチョウが言葉を話したとすれば人類はみな色弱だが、それをもって人類が皆
不幸だと考えますか?


普通の人でもいかに色あるいはそれを映す心というものに対する価値観が(ある点では)欠けて
いるのが判りますか?
色について無頓着なのが正義で、色について真剣に悩むのが悪だと言うのなら、喜んで悪者に
なり、受けて立ちましょう。
しかし、これまでの話しをどう考えるか。少なくとも色弱者が社会的に差別を受けなければならな
いような話しだとは考えにくい。
色弱の人は自分が見える色の世界で生きている。ただそれだけのことなんです。これは色弱の
人だけでなく、普通の人でも「ただ自分の心の世界で生きている」はずでしょう。


色と色覚に関するリンク

COLOR LINK
色や色覚に関するリンク集のページ

Hikari22
色と光の三原色をわかりやすく説明したページ

ぱすてる
色覚問題研究グループのホームページ

できるかな truecolor truecolor2 color3 truecolor7 red2green  
http://www.hirax.net/の中にある「できるかな」のコーナーはいろんな面白いネタがいっぱいつま
っていて楽しい。その中で色に関する話題はかなりハイレベルな科学的切り口で説明されており、
非常に勉強になります。


キーワード
パネルD−15
石原式

眼科医

免許

遺伝

弁色力・色覚・色神

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