ContaxとZeissT*のこと

第65話  創始者の銀貨

ちょっと前に、オークションで何かいいものないかなと思いつつ、なにぶんお金もないのでレンズケースなどをちまちま買っていたのだが、検索したものの中になんとカール・ツアイスの肖像が入った銀貨が出品されていた。
こんなのだれも買わないだろうと、最低額で入札しておいたら、やっぱり落札できた。
出品者の人とやりとりしていて、「ドイツから直送します」とのこと。なかなか粋な演出です。
すると思ったよりも早く、3日でその銀貨は空路はるばるドイツからやって来た。
いやあ、現在の物流はすごいものだ。国内の普通郵便だって3日くらいかかるのにねえ。
いやまて、消印を見ると2日で届いていることになる。時差の話しががあるにしてもすごい。
そんなことに感心しながら、早速開封してみると、ツアイスおじさんが現れました。
実用で使われていたコインらしく、銀独特のくすみもあるので、早速磨いてみました。
すると100点ではないですが、かなり銀の輝きが甦ってきました。
やはり貴金属の輝きはいいものです。

ところで、この銀貨はカールツアイス没後100年記念10MK銀貨だったんですが、ツアイスは1888年に亡くなっていたんですねえ。
1888年頃と言えば、あのプラナーを設計したパウル・ルドルフがツアイスに入社したのが1886年と言われてますし、ツアイスに写真部門ができたのが1889年と言われてますから、やはりツアイス御大の横に鎮座しているのはカメラでなく顕微鏡な訳ですね。
ところで話が脱線ついでに、その後の1890年にプラナーの元となる、プロターf6.3が開発され、その後の1896年にプラナーf4が出現することになる。
しかし時代は皮肉なもので、このツアイス製プロターやプラナーはイギリスのトリプレットレンズに大敗を喫してしまう。これはコーティング技術などが確立される以前では、フレアやコマ収差が多かった対称型レンズは受け入れられなかったからだ。
その対応として世に出たのが、トリプレットをツアイスの思想で進化させたテッサーf6.3で、これがさらにf4.5に進化すると、カメラレンズの世界はテッサーが大流行することとなった。
さらに1929年には、テッサーとは別の切り口でトリプレットから進化したゾナーが出現、そして1932年にコンタックス用としてゾナーf2が現れた後も進化は止まらず、最終的にはf1.5となった。
いずれにしても、この旺盛な開発努力は、創始者ツアイスの考え・・「品質は目に見えるものだ」「品質は体で感じるものだ」「品質は研究の成果をも左右するものだ」という、品質第一の考えに由来するものであり、それゆえツアイスの製品が現在においても絶大な信頼性を得ている理由なのだろう。
(2007.6.29)