ContaxとZeissT*のこと

第46話  ヤシコンマウントの謎

ツアイスのレンズをいろいろと見てきたのだが、そもそもヤシコンマウントのレンズというのはどのようないきさつから生まれたのだろう。
時は1971年、ドイツのツアイス・イコンではカメラ製造を打ち切らざるを得ない状況に陥っていた。ツアイス・イコンで製造されていたCONTAREX SEを最後に、西側でのツアイス系カメラの系譜は途絶えてしまったのだ。(東側ではプラクチカが1990年代まで製造)
レンズを供給し続けていたカール・ツアイスは、その優れたレンズ群を装着するボディを製造するメーカーを探していた。なんと言ってもその時代、西側の35mm一眼カメラでツアイスが純正装着されるのは分家のようなローライフレックスくらいのもので、本家本元のCONTAREX SEの後継機を開発するのは急務だったのだろう。
その後、紆余曲折あったらしいが最終的にカール・ツアイスはポルシェデザインと日本のヤシカとで1972年に新システムの開発を開始した。そしてわずか2年後、1974年のフォトキナで「CONTAX RTS」が発表された。販売が開始された1975年当時のラインナップを見ると、魚眼から1000mmの超望遠レンズまで15本のレンズ、ストロボシステム、モータードライブシステム、接写システム、プロジェクター装置などがある巨大システムだった。
しかし、いかにヤシカとツアイスとで分業化したとは言え、たった2年足らずでこれだけのものをよくぞ製品化したものである。
しかしレンズについては秘密があった。当初スタートした15本のレンズは、そのほとんどがCONTAREXやRolleiQBMマウント用レンズからの流用だったのだ。
コンタックスの当時のパンフレットを引っ張り出して見ると「コンタックスのために新たに開発した・・」という文字があるが、「全てを」とは書いてない。絶妙な言い回しだと感心してしまう。
いずれにしてもレンズエレメントが同じとするならば、フィルム面とレンズの位置関係は変わらないので、フランジバックがCONTAREXやRolleiよりも長いヤシコンマウントでは鏡筒の改造や再設計が必要であったろう。
そもそもツアイスのレンズ群の全てを新規設計することなく、簡単な設計変更だけでそのまま使えるボディを開発したというのが正解なのだろう。この点からすれば開発の主導権はかなりの部分ツアイスに握られていたと見てよいだろう。
(2004.8.11)