ContaxとZeissT*のこと

第37話  AEとMMとGとJ

ヤシカ−コンタックスマウントのレンズは当初何も区別はなかった。しいて言えばドイツ製と日本製というのがあって、プラナー50やゾナー135などは最初から日本製だった。
コンタックスRTSを初めて手にした1980年頃はフラッグシップ機にも自動露出が当たり前となり、完全メカシャッター機も少なくなりつつあった。
自動露出はプログラムAEも現れ、その代表的なものと言えばキャノンのA−1だったのだろう。各社ともにプログラムAEの開発に没頭していたような感じだった。
コンタックスとて例外ではなく、プログラムAE対応であるMMレンズを出した。ボディも当然MM機種でないと使うことは出来ない。
ここに至ってカタログにはAEとMMが同時に販売されるという事態が発生した。しかも、MMのドイツ玉は製造年数が少なく、すぐに日本製に移行してしまった事から、現在は非常に高値で取引されている。
そして不思議なことに、日本製とドイツ製では発色などの傾向が目に見えて違うものも多い。
もともとツアイスレンズの発色は他の日本製レンズとは違う傾向を示していたのだが、設計の新しいレンズはどちらかというと日本のレンズに近い性格に変わってきているような感じがする。
またMMレンズは文字板が彫刻でなくプリントになったり、プラスチック部品が増えたり、絞り羽根が改良されたりと、いい面、悪い面いろいろである。
性能と希少価値の両方から言えばMMGで揃えるのがいいのだろうが、モノとしての質感はAEがいいし、値段も安い。
中古屋では出会った時に程度の良いものならAEレンズでもとりあえず買ってしまうことにしている。そんな訳でレンズはどんどん増えていくばかりである。
まあ僕がRTSを買ったのが20年以上昔なのだから、当時のレンズを使っていても恥ずかしくはないし、昔の夢を辿るというのも悪くないだろう。
出来るならAEとMM両方で揃えてみたいが・・・それは今後の夢というものだろう。(2003.6.29)