ContaxとZeissT*のこと

第2話  プラナーとの出会い
コンタックスのレンズがドイツ製ということは知っていた。ドイツのレンズが
高い評価を得ているのも知っていた。
昔々、家の近くには小さな写真館があった。そこの主は、学校のお抱えカ
メラマンのようなもので、よく学校の行事ともなれば必ず居た。おもしろい人
で、ちょっとなよなよしていて、常に着流しのスタイル。かと思えば、若い頃
ドイツに渡り、写真術を会得してきたという、めずらしい人だった。
当時から写真といえばドイツだったらしい。その写真館で証明写真を撮ると
きは、ドイツから持ち帰ったという大判の写真機で撮ってくれた。少なくとも
現在までに証明写真で、こんなすごいカメラで撮影してくれたのは、そのお
じさんだけである。
その頃から、ドイツのカメラがいいと思うようになった。
念願かなって自分の初めてのカメラを買う時、ドイツにしようと思った。
コンタックスという名前はその頃初めて知った。レンズのカールツァイスと
言うのも知った。知れば知るほどコンタックスしか見えなくなっていた。
RTSを購入したのはHカメラという店だったが、何回も通って迷いに迷った
末、購入した。店の主の言うことには、「このレンズはMade in Japanと書い
てあるけど玉はドイツ製だよ」ということだった。
知らないということは恐ろしいもので、その言葉を信じた僕も若かったのだ
ろう。実は設計はツァイスだが、レンズ製造は「富岡光学」というのは、知
られざる事実だろうが、僕はあのカメラ店の主の言葉が本当だといいなと
今でも思っている。
いずれにしても、日本製であれ、ドイツ製であれ、まぎれもなく「設計はツァ
イス」なのであり、今にして思えば設計でこんなにも差が出るものなのかと
びっくりするくらいなんである。
それで「プラナー」の話し。
最初にボディとともに購入したのが、50mmf1.4「プラナー」だった。
初めて手にした時、「なんてきれいなレンズだろう」と思った。
それまで使っていたキャノンFDとは全く違う輝きだった。
ニコンやミノルタのレンズも好きだったが、さらに透明度の高いような輝きを
していた。
以来、20年以上がたった。今でもこのプラナーを使っているが、未だにあ
きない。撮れば撮るほど新しい発見がある。
頼もしいレンズの1本だ。