ContaxとZeissT*のこと

第19話  クラシックレンズへの憧れ

コンタックスは今や京セラの製品であり、レンズもほとんどが国産化されてしまった。レンズ設計もかつてのものはドイツ感覚がギラギラしていたものだが、最近のものは日本感覚というか、近代的な設計が目に付く。これは特にNXの発表とNデジタルの発表を見てそう思った。
はっきり言って世代が変わってしまったような感じだ。というか、ほかの日本メーカー製カメラとあまり変わらないような感じになってしまった。
AFもデュアルフォーカスでないタイプが現れた。レンズも低分散ガラスや非球面レンズ多用のものが現れた。
ここまでくると、ほんとにコンタックス−ツアイスと名乗ることが出来るレンズなのか気になるところだ。時代の流れと言えばそれまでだが、いままでのツアイス−コンタックスファンの理解を得ることができるかどうかは良くわからない。コンタックス用マニュアルフォーカスレンズというものは過去の遺物として消え去る運命なのだろうか。
しかし先日、子供の運動会でのプリントが上がってきて気が付いた。実は近所の人がほぼ同じアングルで撮ったものと比較できる写真があったのだ。その人が使っていたのは某国産カメラである。自分の目では「ツアイスがやっぱりいい」と思った。どちらも露出はオートで補正なし、フイルムも同じ。ボディの差、ズームと単焦点の差と言えなくもないが、国産ズームは今やハイテクの塊で、非球面や低分散ガラスなどで単焦点レンズと変わらない性能値を得ている。しかも僕の使ったレンズはゾナーであり、レンズ構成もほぼ一緒。しかし、解像度とコントラストのバランスで見ると明らかにツァイスの方が「きれいに見える」のである。階調も良く出ている。できばえを見る限り、ツアイスを使っていて良かったと思った。
ただ問題は、そんな細かい部分にこだわりを感じる人がどれだけいるかということだ。最近は一眼レフを使用する人をよく見るが、使用目的からすれば記録写真止まりで、映像表現まで深く追求する人は多くはないだろう。
数字上の性能に拘って、本来の「表現する」という部分が二の次になって来ている気がする。
極端な話し、ディストーションが出たっていい。「このレンズはこういう写り方をするんです」と、堂々と言えばよい。それを使ってどう表現するかは撮影者の裁量であり、それゆえ写真が芸術の一部として認められているところだろう。
つまり、「写真はレンズで決まる」と言っていたメーカーであるならば、とことん映像表現に拘るのが正しいのではないか。他社に追従するのでなく、芸術路線で行ってもいいのでないか。RTS3のカタログにも「画家の目」というコピーがあったが、いまのままだと中途半端で自然消滅してしまいそうだ。
このまま無くなってしまうと逆にクラシックレンズの価値が出て、価格が高騰するという予測もある。クラシックになったら、それはそれで楽しい世界でもあるが、まだそういう世界には入りたくないという気持ちもある。憧れは憧れとして残しておきたい。