ContaxとZeissT*のこと

第11話  ドイツ玉と色弱

ツァイスのレンズ、特にドイツ玉を使ってみて気付いたことがある。ツァイスのレンズというのは、ヨーロッパの人の目に合わせて設計されているのではなかろうか、という疑問だ。
「メカばか日誌」の「色とデザイン」のところを見てほしい。そこに書いてあるのは、人間の目の個体差のことだ。ブルーアイズの人は明るさに対して感度が強いのではないかということ。言葉を変えれば、色の階調がよく見えるのではないかということだ。
光の三原色は、アンバー(琥珀色)、パープル(青紫)、マゼンタ(赤紫)だ。三原色を合わせると白になる。そして、色の階調を表す要素は、色相、明度、彩度だ。
一説によると、人間の眼の網膜の傾向で平常と言われるものはこの三要素のバランスが取れているということだそうだ。
ところで、ブルーアイズが暗い状況に強いとすると、相対的に見て明るい通常の場所では色の階調の判別については日本人と感覚が違うはずなんです(露出オーバーもしくはコントラストが強すぎる状況)。
日本人の中でもこれと似た話しがある。そう、「色弱」だ。色弱はある色(複数の場合もある)の感度が弱く色判別が困難なこととされている。
昔は色弱というと差別があったし、現在でも悩んで居る人は多い。確かに通常生活に不自由なほど重度の人はたいへんなことだ。しかしそんな人は少なくとも僕は知らない。ほとんどの色弱の人は軽度の人であり、生活する上で困るということはない。困るのは、こういう別の感覚の人がいるということを知らずに「これが標準の見え方ですから統一します」と勝手に決められたルールがまかり通っているという現実だ。
色弱の人はその見え方だから不幸だと断定するのは健常者のおごりだ。
それは先の考えからすると、色の判別能力が優れているからといって全ての状況下でいいとは必ずしも言えない、ということもある。
しかも、普通の人よりも光を感じるという意識において別の研ぎ澄まされた感覚を持っている可能性すらある。光に対する評価基準が違うだけなのだ。
なぜ、この話しをしたかというと、ツァイス特にドイツ玉は、コントラストと階調表現のバランスが高いレベルであることを売り物にしている反面、色再現において日本のレンズとは違う表現をするのである。考えようによっては色弱なのだ。
これがドイツ玉の秘密だ。
つまり、普通の日本人にはツァイスレンズのすごさが100パーセント伝わっていない、と考えることもできる。
では、誰ならそのすばらしさを120パーセント理解し味わうことができるのか。
それは、「色弱の人」かもしれない。普通の人には理解しがたいほど、ツァイスのすごさを体感できる人、その人は「日本に居ながらヨーロッパの光を理解できる眼を持つ人」かもしれない。
しかし、普通の眼を持つ日本人にはツァイスと同じような色再現をするレンズは作らないだろう。もし、作っていてもなぜそういう色再現にしなければならないか理解できないだろう。